***
「やれやれ……。えらい目に遭ってしまった」
義兄さんの心の友だという、昴さんからレクチャーされたこと――。
『穂高くんはイケメンで図体もアレも程よく大きいけど、心が滅茶苦茶小さくて弱いよな。残念ながら』
撫で擦った俺の胸元を、拳でトンと突くように軽く殴る。
「俺のようなヤツが相手なら怖いのも分かるが、義兄の昇さんに逃げの姿勢ってどうよ?」
「逃げの姿勢?」
言ってる意味が分からず、バカみたいなオウム返しをした。空気が読めないのにも程があるな。
「おぅよ。恋人の名前をしれっと呼び捨てにされて、あからさまにイラッとしただろ。そんな態度を出したのに、さっさと逃げたじゃないか」
「確かに……。イラッとはしましたけど、そこまで騒ぎ立てるものじゃないですよね」
「穂高あのときのお前、嫉妬心を思いっきり目で表していたのに、そんなことを言うとは。大人になったというべきなのか、俺に弄られるのが恐かったからなのか」
俺の言葉に呆れたような声色で、ブツブツ言う義兄さん。
「俺は絶対にイヤだね、そんなの。たとえ昇さんでも、迷いなく交戦すっけどな。好きな相手を自分のモノみたいに言われたり扱われたりするのは、やっぱり許せないと思わないのか?」
「はぁ、まあ……」
「この場に恋人がいて一部始終を見ていたら、どうなっていたか。怒りを抑えて変にカッコつけたお前を見て、愛されているんだろうかと愛情疑われるぞ、間違いなく」
「……別に、格好つけてるワケじゃないですけどね」
俺のすべてを知り尽くしている義兄さんだからこそ、しなくていい争いを避けたかっただけなのだ。
「その言い方も、実際カッコつけてるよなぁ。しかも目に出てるぜ、内心すげぇ焦ってるのが」
「焦ってなんて――」
「いいや、超絶焦ってるね。次はどんな図星を指してくるだろうかとハラハラしながら、焦りまくってるよなぁ穂高くん」
いきなり子どもをあやすように頭を撫でられてしまい、困惑するしかない。
「俺たちの前だから、カッコつけたがるのも分かる。だがな、恋人の前ではそんなモン脱ぎ捨てちまいな。カッコつけて心の内を隠すと、恋人にいらない誤解を与えさせるだけなんだ。言葉で気持ちを伝えていても、すべてを伝えきれないからこそ、すれ違いが生じてしまうんだぜ」
どこか悲しげな表情を浮かべながら話してくれる内容に、じっと耳を傾けた。
「千秋ってコは、お前の前でカッコつけたりするのか?」
「……しません。俺に向かって、素直に気持ちをきちんと表してくれます」
出逢ったときからそうだった。そして今も……。最初はあんなに毛嫌いしていた俺に、たくさんの愛情を注いでくれている。
『好きだよ、穂高さん』
そう告げられるたびに、心臓が絞られるように軋んでしまうんだ。俺を見つめるキレイな瞳が千秋の気持ちを表していて、幸せを感じてしまう。心のすべてを癒してくれる大切な存在――。
「恋愛はケンカと似ていてなぁ。相手から目を逸らしたら負けなんだ。どうしてだと思う?」
相変わらず俺から視線を外さず、挑むように見つめる視線に負けないように、目力を込めて睨み返してみた。
「そうですね。目を逸らしたら、相手がどんなことを考えているのか。次はどんなことを仕掛けてくるのかが、分からなくなるからでしょうか」
「正解、さすがは昇さんの弟。頭いいなぁ」
くすくす笑ったと思ったら、俺の頭を撫でている手を使って、いきなり顔面を鷲掴みされてしまった。
「いぃっ!?」
大きな手で力いっぱい顔を潰す勢いで鷲掴みされる理由が、さっぱり分からない!
――痛い……痛すぎるっ!
「ほどほどにしてやってくれよ。こう見えても穂高は弱いんだから」
「あぁ!? だから痛みに対して、強くしてやってるんじゃないか、なぁ?」
なぁって聞かれても、こんなので強くなれるとは到底思えない。何を考えてるんだ、この人。
「あっ、あのっ、痛いです。離していただけませんか?」
掴んでいる腕に両手をかけたのだが、まったく歯が立たない。相当、鍛えこんでいるんだろう。
「何だよ、俺は腕1本なんだぜ。お前は2本も使ってるのに、こんなの外せないのか?」
「あ~あ。顔が潰されちゃうかも。素人相手にヤクザの全力とか、大人気ないんじゃない?」
「何を寝ぼけたこと言ってんだ、昇さん。俺みたいな相手に簡単に負けるようじゃこれから先、世の中の人間に叩かれて、恋人共々真っ逆さまに落ちるんだぜ」
(千秋と一緒に、真っ逆さまに落ちる――?)
「その両腕を使って、恋人を守っていくんだろ? 自分を守れない人間が、大切な誰かを守ることなんて、到底できないだろう。なぁ?」
男の指先が更に皮膚に食い込む感覚を感じながら、両腕に渾身の力を入れてやった。掴んでる腕をぎりぎりと絞り上げながら引っ張ってみると、呆気なく外される。
「っ……。腕の筋が変になるかと思った。やるじゃねぇか、頭を使った力技」
「俺の顔も少しだけ潰れたかもです。恋人に振られたら、慰謝料を請求しますよ」
顔を撫で擦りながら言うと、手首をぷらぷらさせて嬉しそうな笑みを浮かべた。
「漁師って仕事も大変だろうけどさ、それ以上に男同士で生きていくのは、いろいろと周りから突っ込まれるからさ。機転利かせながら守りつつ、恋人には腹の内を全部晒しておけよ、なっ!」
なっ! の部分でいきなり伸ばしてきた男の腕を、寸前のところで慌てて掴み止める。
「穂高くん、何で止めるんだ。せっかく自分の見立てを、この手で確かめようとしたのになぁ」
「確かめないで下さい。潰されたら、それこそ死んでしまいます」
残った片手を使われたら、それこそお終いだ――大事な部分が潰されてしまうかもしれない。
「なりふり構わないその感じ、最初のときよりもいいわ。必死さが目から伝わってくる。それでいいんだ」
ひとり納得した顔して、あっさりと腕を引っ込めた。
「その感じ、忘れんじゃねぇぞ。結構大事なんだ、それ」
「はい、有り難うございます。それじゃあそろそろ時間なので、失礼します!」
告げられた意味が正直よく分からなかったが、また何か奇襲をかけられても対処に困ると考え、さっさとここから立ち去るべく頭を下げて、事務所をあとにした。
扉を閉めた瞬間、大声で笑うふたりの声が扉から漏れ聞こえる。
(――俺、からかわれたのか?)
さっきまで行われたことをしんみりと思い出している間に、千秋がバイトしてるコンビニに到着した。遠くから見ても簡単に見つけられる、愛おしい君の姿。楽しそうに仕事をしている千秋を見つめるだけで、自然と口元が緩んでしまうんだ。
そんなことを考えながら腕時計を見たら、あと数分でバイトが終わる時間を指していた。
(出てきたところを驚かせてやるか。それとも、家の前までついて行ってから驚かせてやるか。どっちが驚いてくれるだろうか?)
ワクワクつつ、車を駐車場に停める。そしてコンビニの影に自分の体を隠して、どうやって驚かせてやろうかと考えを巡らせていたら、千秋の声が外に響いて聞こえてきた。
ハッキリと聞こえてきたのだが――
「……どうして男と一緒に歩いているんだ、千秋」
両手にビニール袋を提げて、実に楽しそうな感じで男と喋っていた。黙って、その様子を窺うしかない。
「ゆっきーからメールが着てるよ。もう家の前にいるってさ」
「早っ! この蒸し暑い中を、ずっと待たせるのも悪いから急ごう」
「急ぎたいのは山々だけど、振動のせいで開けた途端に、ビールが大爆発するかも」
「それは勘弁だよな。アキさんの家がビール臭くなっちまうから。程よく急ごう!」
ふたり仲良く並び、急いで歩く後姿に声をかけられない状態だ。しかもこれから千秋の家で宴会をするような話に、思いっきり困惑するしかない。
「どうする……。今夜はもう、千秋の家には泊まれないだろうな」
50メートルくらい距離をとって、とぼとぼ後ろを歩いた。あとをつけたところで、中に入れないことは明確――君が楽しそうに笑っている姿を見られるだけでもあり難いことだというのに、どうしてこんなにも悲しい気持ちになるのやら。
あ~あと気落ちしているところに、隣の男が飲んでいたペットボトルを押しつけるように千秋に手渡した。
離れているので何を喋っているのかは分らないが、千秋が困ったような顔をしたのはすぐに分かった。熱心に何かを言って説得する男に、無性にイライラが募っていく。
やがて諦めた表情を浮かべて、渋々ペットボトルに口をつける千秋。
「あ……!」
「んっ?」
思わず漏らしてしまった大きな声に、千秋が反応して後ろを振り返った。その動きに慌てて人様の庭先に入り込んで、口元を押さえながらじっと身を隠す。
変に静まり返るからこそ、ふたりの会話が耳に聞こえてきた。
「どうしたの、アキさん?」
「何か……。誰かがいたような気がして。それにしても思ってた以上に、これ美味しいかも」
「でしょでしょ! 意外とイケるんですよ、イチゴクリームソーダ」
あ~あ千秋のヤツ、その男と間接キスしちゃった。何気に美味しいとか言ってるし。
「この甘酸っぱさが、バイトの疲れを癒してくれそうな感じだね。ありがと」
「どういたしまして……。まだ後ろを見ちゃって、気になるんすか?」
「うぅん、ちょっとね。聞き覚えのある声が聞こえた気がして」
(――仕方ない、とっておきのワザを繰り出すか――)
「に、にゃあぁんっ! んにゃっ!」
島にいる、ネコの鳴き声を真似してみた。滅多に真似しないので、似ているかは不明である。
「アキさん、ネコがいるみたいっすよ」
「ネコ……なのかな?」
「だって、にゃあって鳴いていたし。どんなコだろ。俺、ネコ好きなんっすよ」
こちらに近づいてくる足音が耳に聞こえてきて、自然と体が強張った。
「しましまかな、それとも真っ黒かな。確か、この辺から声が聞こえたっけ?」
コツコツと歩く靴音とともに、塀越しから男の声がハッキリと聞こえてきて、マズイ・ヤバイ・絶体絶命の文字が頭の中に次々と浮かんだ。いっそのこと男を巻き込んで驚かせてやったら、千秋がぶっ飛ぶかもしれない。
ええぃ、もうやってしまおうと腰を少し上げて、声を出しかけた瞬間、
「竜馬くん、人ん家に勝手に入ったりしたら不審者だからね。住居不法侵入で逮捕されちゃうよ!」
「まあ、そうなんですけど。でもネコの顔をちょっと見るだけ、いいでしょ?」
よし千秋、ナイスアシスト! 住居不法侵入は立派な犯罪だからね。(自分が犯していることを理解していない穂高)
右手親指を、塀の向こう側にいる千秋に向かってグーをしたら。
「あんな変な声を出すネコ見たって、きっとロクなもんじゃないと思う」
――ロクなもんじゃない、ネコの鳴き真似をした俺って( ̄□||||!!
ショックのあまり声が出そうになり慌てて口元を押さえたら、隠れている茂みがガサガサと大きな音を立ててしまった。
「ほらほら、俺たちの話声を聞いて、ネコがどこかに行ったみたい。早く家に帰ろうよ、ゆっきー待たせてるんだから」
「はぁい、残念だったなぁ」
靴音が聞こえなくなるまで、その場で待機した俺。結局この日は、カプセルホテルへ泊まることにしたのだった。
***「千秋……千秋、眠ったかい?」「…………」「ふっ。浮かれていたのは、俺だけじゃなかったのにな。何だかんだ言って君だって充分、浮き足立っていたよ」 驚いて大声を出せないように、出会い頭に手で口を塞いだのはそのためだったが、嫌がらせをした俺を非難しながらも、目がずっと笑っていた。 逢えて嬉しいってずっと誘うような眼差しで見るものだから、それに応えてしまった。考えもなしに、無茶苦茶にしてしまったんだ。「こんなに線の細い君を手荒に何度も抱いてしまって、悪かったと思ってる。ごめん……」 疲れきって眠ってしまった千秋の頬にキスをして、その身体をぎゅっと抱きしめる。 帰ってきたというか、戻ってきたというか――君の香りもぬくもりも俺への想いもそのままだっていうのに、部屋に押し入った瞬間、五感が敏感に反応してしまった。 まだ抜け切れていない昨日の宴会の雰囲気や、煙草の残り香が部屋の中に漂っていた。その場を楽しく過ごしたであろう千秋には大変申し訳ないが、1日お預け食らった分に嫉妬心が加算されたのは、いうまでもなく――。 久しぶりの再会だからこそ優しくしなければという、もうひとりの自分の言葉をしっかり無視して、力任せに床に押し倒して力任せに服を脱がし、力任せに抱いてしまった。 数歩先にはベッドがあるというのに、冷たい床の上に千秋を組み敷いた俺はあのとき、どんな顔をしていたんだろう。『あっ、はぁっ、……穂高さ……ん……ぅ!』 ――文句を言いかけた君の口を、まずは塞いでから。『さっきの言葉を言うまで、絶対に離さないよ千秋。止めてあげない』 耳元で囁いて、耳の縁をなぞるように舐めあげる。自分でも驚いてしまうくらいのアヤシげな声色に、千秋自身も相当驚いていたんじゃないかな。『はぁう…… ひっ……あっ、あっ……』 切なげな表情を浮かべながら甘い声をあげるこの姿は、俺だけが見ることのできる特別なもの。『いきな、り、どこさわ、あっ、ひゃっ……やめっ――』 いきり勃ったコレとか俺を感じさせてくれるココとか、千秋の感じる部分すべて、自分だけが触れることを許されているというのに。『止めないよ。もっと感じてごらん』 床の上で粋のいい魚のように動く淫らな千秋を、押し寄せてくる膨らんだ感情が更に追い討ちをかけた。 室内のむっとする熱気が、俺たちを包み込む。手早く
***『お預け食らった分、堪能させてもらう』だの『だから覚悟してくれ』と自分の言いたいことばかり言って、俺を好き勝手にした穂高さん。「お預け食らった分って、絶対に昨日の分だけじゃないって……」 床の上に押し倒されて、服を破りそうな勢いでさっさと剥ぎ取られた挙句に、貪る感じで俺を抱いた他に――ベトベトになった身体を綺麗にすべくシャワーを浴びてる最中だというのに、いろいろと施されてしまった。『ッ……やっ、だめっ!』『ダメじゃない、イイだろ千秋っ。言ってごらん』『ん、ひぁ、うッ!』『意地でも言わないつもりなのかい、困ったね』 困ったねと穂高さんは言ってるのに、その口調はえらく楽しげであり、余裕ありまくりすぎ。逆に余裕のない俺は、快感の波に溺れさせられて困り果てるしかなかった。 気持ちよさに身を任せたいのが半分と、羞恥心がせめぎ合ってしまい、どっちつかずのままでいる姿を後ろから覗き見て、闇色の瞳を細めてクスクス笑う。『性長期の千秋に合わせて、いろいろ手を尽くしていたんだけど――』(……何の話だろ?)『最近格段に感度が上がってきたせいで、俺も結構ヤバいんだよ』 穂高さんの艶っぽい声が、浴室内でよく響いていた。喋っている間、腰の動きを止めてくれたお蔭で、喘いでいた呼吸がなんとか楽にできる。『……何が、どうヤバイ、の?』 息も絶えだえ状態の掠れた声で、やっと質問してみる。この状態で穂高さんがヤバいのなら、俺なんて相当ヤバいと思われる。『鏡に映ってる千秋の感じてる顔と、千秋の中が異常に気持ちイイのが本当にヤバイんだ』 この位置がキモでね――と言いながら笑って俺の身体を肩を掴むなり、ぐいっと後ろから突き立てた。『んっ……な、何なのっ!?』 今まで感じたことがないそれに、気がおかしくなりそうだった。『ん……? その顔、少しだけつらそうだね。今までは、ちょっとだけズラしていたから』『ぁんっ、な、何でい、今ご、ろ?』 更に俺の身体をぎゅっと抱きしめる。こうして拘束されるだけでも中が感じるので、質問するのが必死だよ。『千秋が気持ちイイと、必然的に俺も気持ちイイんだ。引きずられてしまってね。だけど心情としては、少しでも長く一緒にいたいんだが、でも――』『……ん……あっ!』『君の口から直接、感想が聞きたくて。くっ……ほら、早く言ってくれ』『そ
*** 明日、列車で穂高さんがいる島に向かう――夏の日差しを浴びて、きっと日焼けしてるんだろうなぁ。 更にカッコよくなっているであろう彼のことを考えるだけで、顔の筋肉がつい緩んでしまい……。「いかん、いかん。仕事中なのに」 明日が楽しみすぎてぼんやりする時間があると、いつの間にか穂高さんのことを考えてしまった。(列車の中で、きっと居眠りしちゃうだろうな。宅呑みが盛り上がったせいで、仮眠が少ししか取れなかったし) コンビニで働く仲のいい友人と親睦を深めようと、月一でそれぞれの家を回り、宅呑みしてみないかという提案をしてみた。言いだしっぺの家が最初だって他のふたりが指摘したのだけれど、夏休みは丸々こっちにいないと言ったら急遽、昨日を来月分の前倒しとして俺の家で行うことになったんだ。 昨夜の宅呑みの疲れを引きずってるからといって、仕事の手を抜くわけにはいかない。稼ぎ時の夏休みのシフトに、穴を開けているから尚更―― 頭を振って、新商品の棚の整理に勤しむ。こうして集中していたお蔭で、気がついたら仕事上がりの時間になっていた。「お疲れ様でした!」 次のシフトの人に引継ぎをしっかりしてから、急いで自宅に帰る。少しでも睡眠をとって、穂高さんに心配かけさせないようにしなければ。こういう体の変化に敏感な恋人のことを考えているうちに、帰路に着いた。 ウキウキしながらカバンから鍵を取り出し、鍵穴に差し込もうとしたそのときだった。目の端に人影を捉えた一瞬の隙に、大きな手が俺の口を塞ぐ。それと同時に、太い腕によって体を抱きしめられてしまう。「んぐっ!?」「騒がないでくれ……。そのまま、家の鍵を開けてくれないか」 心に染み込むような低い声――聞き覚えのあるその声の持ち主は、ひとりしかいない。 振り返ってその人を確認したいのに、口を塞いでる手が見事にそれを邪魔した。それだけじゃなく背中から伝わってくるその人の存在が、俺を更に混乱させる。 汗ばんだ体温が、じわりと身体の中に侵食していくみたいに感じた。 鍵を持つ手がわなわなと自然と震えてしまって、上手く開けることができないよ。「どうしたんだい千秋。もしかして、俺を焦らしてるのかい?」 ふっと笑った感じが伝わったと思ったら、髪にキスを落とす。「ね、早く鍵を開けてくれないか? ずっと君を待っていたせいで、自制が利
***「やれやれ……。えらい目に遭ってしまった」 義兄さんの心の友だという、昴さんからレクチャーされたこと――。『穂高くんはイケメンで図体もアレも程よく大きいけど、心が滅茶苦茶小さくて弱いよな。残念ながら』 撫で擦った俺の胸元を、拳でトンと突くように軽く殴る。「俺のようなヤツが相手なら怖いのも分かるが、義兄の昇さんに逃げの姿勢ってどうよ?」「逃げの姿勢?」 言ってる意味が分からず、バカみたいなオウム返しをした。空気が読めないのにも程があるな。「おぅよ。恋人の名前をしれっと呼び捨てにされて、あからさまにイラッとしただろ。そんな態度を出したのに、さっさと逃げたじゃないか」「確かに……。イラッとはしましたけど、そこまで騒ぎ立てるものじゃないですよね」「穂高あのときのお前、嫉妬心を思いっきり目で表していたのに、そんなことを言うとは。大人になったというべきなのか、俺に弄られるのが恐かったからなのか」 俺の言葉に呆れたような声色で、ブツブツ言う義兄さん。「俺は絶対にイヤだね、そんなの。たとえ昇さんでも、迷いなく交戦すっけどな。好きな相手を自分のモノみたいに言われたり扱われたりするのは、やっぱり許せないと思わないのか?」「はぁ、まあ……」「この場に恋人がいて一部始終を見ていたら、どうなっていたか。怒りを抑えて変にカッコつけたお前を見て、愛されているんだろうかと愛情疑われるぞ、間違いなく」「……別に、格好つけてるワケじゃないですけどね」 俺のすべてを知り尽くしている義兄さんだからこそ、しなくていい争いを避けたかっただけなのだ。「その言い方も、実際カッコつけてるよなぁ。しかも目に出てるぜ、内心すげぇ焦ってるのが」「焦ってなんて――」「いいや、超絶焦ってるね。次はどんな図星を指してくるだろうかとハラハラしながら、焦りまくってるよなぁ穂高くん」 いきなり子どもをあやすように頭を撫でられてしまい、困惑するしかない。「俺たちの前だから、カッコつけたがるのも分かる。だがな、恋人の前ではそんなモン脱ぎ捨てちまいな。カッコつけて心の内を隠すと、恋人にいらない誤解を与えさせるだけなんだ。言葉で気持ちを伝えていても、すべてを伝えきれないからこそ、すれ違いが生じてしまうんだぜ」 どこか悲しげな表情を浮かべながら話してくれる内容に、じっと耳を傾けた。「千秋っ
*** 逃げるように出て行った穂高の顔を見て、ふたりして大笑いしながら大きな背中を見送った。「ちょっとばかし弄りすぎたかなぁ。でも俺としては、間違ったことを言ったつもりはないぜ」「まぁね。穂高のヤツってば、ちょっとズレてるところがあるし、誤解されるような行動を迷いなくやっちゃうからね。いい勉強になったんじゃない?」 笹川は目の前のソファに座り直して、三白眼の瞳をこれでもかと嬉しそうに細めながら、右手を差し出してきた。「なに、その手?」「整体料と指導料の徴収。友達割引して、きっかり10万円になります」「高っ!! ぼったくりバーと同じじゃないのさ」 ひでぇひでぇと連呼しながら怒ってみせると、自嘲的な笑みを浮かべて肩を竦める。「高くはないぜ。何てったって人生経験豊富な俺が、わざわざレクチャーしてやったんだ。昇さんはしたことがないだろ、駆け落ちとか」「打算的な人生を送ってる俺からしたら、それは絶対にない話だわ。逃亡先に幸せな人生が約束されているなら、喜んでしてやるけど」「駆け落ちした相手が昇さんと一緒で、打算的な考えをするヤツでなぁ。俺は何も知らずに、ほいほいついて行った結果、キズつく目に遭ったんだ。ま、それが原因で別れたんだけど。キズをずっと引きずったままでいたから、その後の恋愛が上手くいかなくてさ」(今まで昴さんに恋バナを聞いても、はぐらかされてばかりで全然聞けなかったというのに、一体どうしたんだろ?)「でも、何だかんだでモテそうだよね。違う意味で」「ハハハ、それは否定しない。確かに違う意味でモテていたから、ケンカに恐喝は当たり前の日常だったしなぁ。でもその中で、今の恋人に巡り逢えたんだ」 語尾が消えそうな声色で告げるなりガックリと俯く姿に、何て声をかけていいか分からない。「俺としては前の恋愛は終わったものだと割り切っていたんだが、心の奥底に引っかかったままでいたせいか、何かの拍子で態度とかに出ちゃっていたらしくてなぁ」「だから穂高にあんなこと……」「ああ。アイツ見てると、昔の俺み
*** 賑やかなホストクラブの店内を横目に、さっさと2階に駆け上がり、事務所の扉前に立ってノックをしようとしたのだが――。「ん……? 喘ぎ声?」 ハッキリとは聞き取れないが、高めの声が漏れ聞こえる。中にはオーナーである、義兄さんがいるはず。どこぞの誰かとヤっちゃってる最中なんてありえない。 俺が顔を出すと知っていながら、堂々とそういう行為をする人じゃないことは分かっていた。(基本的にイジワルな義兄さんだけど、こういう線引きはしっかりした人で、場の空気に流されることなく、むしろ相手を散々翻弄するタイプだからこそ、あり得ないんだよな、この展開は) いやぁっ! なぁんてエロい声をじっくりと聞きながら腕を組んで考えていても、埒が明かない。思いきって、扉を軽快にノックしてやった。「はぁっいっ、どうぞ……」 ドキドキする胸を抱えて、失礼しますと言いながらゆっくり扉を開ける。「ひっさしぶりっ……って、いってぇな、んもぅ!」 目の前に展開されている姿に、何て言葉をかけたらいいのやら。大きなソファにうつ伏せになって横たわる義兄さんに、見知らぬ男が跨っていた。「昇さん、もう少し体を労わらないと。これでもかなり、優しく施しているのに」 見知らぬ男が大きな手を使って、やわやわと腰を揉みながら俺の顔を食い入るように見つめる。その目が三白眼で、凄みが普通じゃなかった。義兄さんの新しい恋人だろうか?「そんなところに突っ立ってないで、座ったらどうだ」 唐突に強面の男に話しかけられ、頷いておどおどしながら向かい側のソファに腰掛けさせてもらう。その間も視線は、しっかりとこっちに釘付けのままだった。「ふぅん……、いいモノもってるのな。流石は、元ナンバーワンホスト。随分、啼かせてきたんじゃないのか?」「ちょっと昴さん、いきなり初対面でそれを指摘するとか、卑猥すぎるんだけど……って、いたたっ!!」「はいはい、年寄りは黙って揉まれていればいいって。それに初対面だからこそ、俺の特技を披露したまでだし」 なぁと気安く話しかけられ、会話に入れ